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みなさんご無沙汰しておりました。
今日(11月1日)は諸聖人の日という祝日で、学校がお休みなので家にいます。

イタリア生活は思いのほか難航しています。なんと、まだアパートが見つかっていない!最初に住んでいたアパートからはもう引越したのですが、引越先に問題が見つかり、早々に出なければならなくなりました。なので、渡伊二ヶ月以上経っていますが、未だにアパート探しです。どこかに良いアパート見つからないかなあ。
# by t_oz | 2012-11-01 21:54
イタリアには着いていますが、生活のセットアップにいろいろと時間がかかって今に至っています。

特に困るのは、今住んでいる家は大学から借りている仮の家なんですが、この家にはインターネットが無いということです。いかにインターネットに依存した生活をしていたのかを実感しています。

この家には今月中は住んでいて良いのですが、来月からは別の場所に引っ越さなければいけません。引越先を探すのが今一番苦労していることです。やはり、イタリア語ができないといろいろ不便です。「イタリア語ができない方にアパートを貸すのはちょっと。。。」と言われることもあります。(おそらくそう言われたんだと思う。イタリア語で言われたので定かでない。)まあ、意思の疎通のできない相手にアパートを貸すことの不安は分かるので文句はありません。

大学自体は非常に良いところです。特にここのBECセンターはなんというかみんな仲良しで非常に気持ちがよい。イリノイのときのように、向かいに座っている人が何の研究をしているのかもしらない、というのとは大違いです。お昼になると20人くらいで大挙して学食にランチを食べに行ったりしています。僕がアパートを探しているということを知っている人たちがいろいろと物件情報を教えてくれるのも助かります。

トレントは古い雰囲気の残る良い街です。僕のような異邦人が入っていって良いのだろうか、と思うこともたまにあります。なるべく早くイタリア語とイタリア文化を学んで郷に従えるようになりたいと思っています。それとも、ローマではローマ人がするようにせよ、かな。(そうは言ったけれど、大学のおかげで明らかに外国人と分かる留学生もそこそこの数はいるし、外国人であるということ自体では不便はしていません。)先日は街の中心広場で中世祭りをやっていて、中世風の格好をした人が糸を紡いだり、矢を射ったり、木彫り細工を作っていたりしていて面白いものを見ることができました。中世人の行進もありました。

そんな日々を過ごしています。明日は大学でセミナー。BECセンターのみんなに僕がどういった研究をしてきたかを紹介するという趣旨。さあどうなるだろう。
# by t_oz | 2012-09-11 02:20
みなさま、こんにちは。
先週の日曜日(19日)に結婚しました。
明日、妻とともにイタリアへ向けて出発します。
今回の日本帰国は一ヶ月と少しで長かったんだけれど、怒濤の勢いで過ぎてしまって息つく暇も無かった。しかし、充実したひと月になったような気がします。
みなさまこれからもどうぞよろしくお願いします。
# by t_oz | 2012-08-22 13:46
ちょっと古事記の内容を知りたくなって本屋でたまたま見つけた武光誠『一冊でわかる古事記』を読んでみました。

確かに、新書一冊の中に古事記の主要な物語と解説をつめこんであってタイトル通りの内容にはなっているんですが、どうも僕には合わない本でした。というのは、作者の解釈が過剰に含まれていて、書かれている内容が果たして作者の解釈なのか、皆が認める形で古事記の中に書かれているのかがわからなくて話半分で読み進める形になってしまったからです。

例えば、「はじめに」において「『古事記』の登場人物がすべて、むやみに人間や動物を傷つけない優しい人びとであることに注目したい」なんて書いてあります。因幡の白兎の話で皮を剥かれた白兎に海塩を浴びて風に当たれと言った八十神はどうなるんだろう。本の中の他の部分の解説も、古事記の登場人物はみな優しい人たちだ、という前提に立ってその偏見でもって書かれているような気がしました。

他には、訳文としてイザナギとイザナミの結婚の場面でイザナミが「私の欠点は、用心深く控えめなことです」と言ったことになっていました。こんなことを言ったとは思えないがと思って原文(岩波文庫版)をあたってみると、訓み下し文で「吾が身は、成り成りて成り合はざる處一處あり」と書いてありました。これを上記の様に訳したのだとしたら、これは翻訳と言うにはあまりに著者の解釈が入りすぎているように感じました。
全編こういった調子でどうも信頼しながら読むことができませんでした。

意味の分からない書き方をしている箇所も多数ありましたが、例えば仁徳天皇陵について「仁徳天皇陵古墳は、有力な大王であった雄略天皇のためにつくられたものとみても誤りではあるまい」と書いてありました。これにはまいった。著者の考えとして「仁徳天皇陵古墳は、有力な大王であった雄略天皇のためにつくられたものであろう」と書くなら何も文句はありませんが、「誤りではあるまい」というのは、一体何を言いたいんだろう。雄略天皇のものであるかそうでないかのどちらかなんだろうから、誤りか誤りでないかのどちらかでしょう。

というわけで、あまり真剣には読めず、話半分の態度で、でも最後まで読んでしまいました。今度はもうちょっとバランスの良い解説書を探して読もうと思います。
# by t_oz | 2012-08-18 16:45
卒業に伴い、約6年間住んだUrbana-Champaignを先週末離れることになりました。

思えばいろいろありました。22のときに来て今は28になっているので、結局20代の大部分をUrbana-Champaignで過ごしていたような気がしています。

結局卒業には1年余分に計6年かかってしまったわけですが、最後の1年はいろいろ成果がでたので結果的には多めに在籍して良かったと思っています。そもそもUltracold Gasに興味があって大学院に出願することになり、結果的にUltracold Gasの研究で博士号を取得できたのはなんと言うか予想外に計画通りです。

同じような質の研究を(もちろんテーマは違っても)日本でできたかと言えば、それはできたと思うけれど、僕にとってアメリカで大学院生活を過ごしたのはもっと文化的・精神的な意味で得難い経験になったと思います。何と言っても海外生活は楽しい。日本の人たちとは全然違う考え方を持つ人たちと日々触れ合うことができるというのが僕の考える留学のもっとも大きなメリットです。世界には日本人以外の人たちがいる、というのは日本でも日々ニュースを見ていればわかることだけれど、そういう人たちを実感として知るのはやはり実際にそういう人たちと会って暮らしの一部を共有して行かなければわからないことが多いと思う。もう一度学部の頃に戻って大学院に出願することになったら間違いなく外国の大学院に出願すると思う。イリノイの大学院で良い指導教官に会えたのは非常に幸運だったけれど、それは日本かアメリカかあるいは他のどこかというのとはおそらく別の問題でしょう。

そんなこと書いてみたけれど、でも、イリノイに来てから物性物理に対する見方がだいぶ変わったのも事実です。これはアメリカだからということよりもむしろ学部から大学院で違う場所に移ったからだと思う。(あるいは、もしかしたら単に学部から大学院に上がったからだけなのかもしれない。)どう変わったのかというと、なんだか学部のときには物性物理は最先端ではコンピュータによる数値計算(もしくは対極として特殊な模型による厳密解の研究)が必須になっているという勝手なイメージを持っていたけれど、イリノイで物性理論をやっている人たちで(量子Monte Carloや、あるいはFortranやCなどを使った何らかの)数値計算を日常的に使っているのはせいぜい2つか3つのグループで、他の大部分のグループは別に数値計算をせずに結果を出しているように感じています。(僕がいま数値計算を日常的に使っているグループとして頭に浮かべているのはCeperleyのグループとDahmenのグループ、あとおそらくGoldenfeldのグループです。)Green関数法すらあまり人気がないというのにも驚きました。(以前も書いたけれど、僕がFetter&Waleckaを読んでいたら、「そんなGreen関数法みたいな前時代的なものを学んでどうするの?いまどき誰も使ってないでしょ。」と本気で言われたことがあります。Leggettは「Green関数法が本質的な物理の理解に寄与したことはない」と言ってGreen関数法が嫌いだと聞きました。)違う場所では違う物理の雰囲気があるようです。ということで、いろいろな物理を知るためにも学部から大学院で違う場所に行くことはお勧めです。

でもイリノイでの大学院生活に不満があったのも事実です。一番大きな問題は、研究を議論できる相手がボス以外にどうも見つからなかったということでした。気軽に日常的に研究の話あるいは物理の話をできる人がいなかったため、研究生活はなかなか孤独でした。(どういうわけか同じグループの中にも研究についての話ができる人はいませんでした。)ボスも丁寧に学生を指導するタイプというよりもどちらかというと放置で、具体的な研究テーマを与えるということもしない人だったこともあってか、研究を始めた当初はなかなか進みませんでした。まあ、今になって考えてみると地力というか一人で研究する力は養われたと思うし、そんなにネガティブな側面ばかりではなかったのかもしれません。しかし、たまにサマースクールに行ったり日本に帰って本郷にお邪魔していたりするときはいろんな人と物理の議論ができることが実に楽しかったので、やはり議論できる相手がいるにこしたことはないでしょう。結局Urbana-Champaignにいる間に論文を6本書いたけれど、どれもボスとの二人での共著でした。他の誰とも論文を書いたことが無いというのは、ちょっと不自然かなあとも思います。次に行く場所では是非いろんな人と研究について話ができたら良いなと思っています。(おそらく、次に行く場所では、それが可能だと思う。)

物理の話はこれくらいにしておきましょう。最初にも書いたけれど、Urbana-Champaignに来て一番良かったとのはいろんな人たちと出会えたことだと思っています。特に、アメリカに来て最初の2〜3年はほとんど日本人との交流が無く、日本語の本は読んでいたけれども日本語を発声するのは実家との電話あるいは一時帰国中のみという状況が続いていました。(当初は一時帰国した時に、周りの人が日本語を話して自分も日本語を話すのが実に奇妙に感じられていました。)そういう新しい環境に身を置き、いろいろな価値観に触れることは非常に大きな刺激になりました。アメリカに来て初めて神様を信じている人やベジタリアンや同性愛者や進化論を信じていない人に会いました。アメリカに来るまでユダヤ人とイタリア人とスウェーデン人の外見上の違いなんて全くわからなかったけれど、今ではだいぶわかるようになってきました。(それよりもあるタイプの中国・韓国人と日本人を見分ける方が難しいかもしれない。)ただ、黒人の知り合いはできませんでした。なぜだろう。物理学科同期45人中黒人は1人だけで、人種のサラダボウルのアメリカと言えども物理で黒人はまだまだ少数派のようです。ともかくも、僕の(まだ終わっていないけれど)20代における価値観の変化・形成は多様な考え方の存在に実感として気づくということがメインテーマだったように感じています。一番身近に影響を受けたのはもちろんアメリカ的価値観だと思いますが、しかし、イリノイ大学の雰囲気がアメリカ的価値観を代表するような場所なのかというとそれも違うのかもしれません。そもそも代表的アメリカ的価値観なんてないのかもしれない。様々な価値観が混ざり合うこともせず反発することもせずにただそこにある、という状況を僕はアメリカで見てきました。僕がアメリカに来て初めて神様を信じている人に出会ったように、逆にイリノイで会ったアメリカ人やメキシコ人の中には僕と会って初めて『神様はいるのだろうか』という問いを発することすらせずに神の不存在を当然のこととみなしている人間と会ったというようなことを言っている人もいました。世界は多様であるからこそ面白い。僕は世界中の人は決して分かり合えないし、世界から宗教上のあるいは思想上の紛争がなくなることはあり得ないと思っているけれど、その考え方はアメリカに来てから徐々に形成されていったような気がします。(もちろん紛争が無くなればそれに越したことはないんだけれど。)イスラム教徒の友人は進化論者は頭のおかしい人たちだと言い、無心論者の友人は進化に神が介入しているなんて考える人は頭がおかしい人たちだと言うけれど、その両方とそれぞれ話しているとそれぞれ非常に聡明な人たちでどちらも頭がおかしいはずはなく、単に考え方に譲歩できないほどの違いがあるというだけでした。あるいは、共産主義者の友人は市場の自由競争をサポートする人たちは気が狂っていると言い、保守的な資本主義者の友人は共産主義なんて歴史が否定した制度を未だに擁護する人たちは悪魔に取り付かれているに違いないと言うけれども、どちらもそれぞれ聡明な人たちでした。要するに人間は自分の通過してきた環境や育んできた考え方によっていかに世界の見方が規定されてしまうのかということを強く感じた6年間でした。もちろん環境によって見方が大きく制限されてしまうのは僕自身も例外ではないけれど、自分の考え方がどういう制限を持っているのかはどうも自分ではわかりにくいので、いつも他人の指摘で気づかされています。なんだか、ありきたりなことを長々と書いてしまったような気がします。段落を変えて、英語についてです。

一般的に言って、アメリカ留学の最も直接でわかりやすいメリットは英語の上達かもしれません。僕の英語は確かに上達したと思います。最初は近くの店で水を1本買うのも冒険だったけれど、今では役所に行って多少面倒な交渉も別段億劫に感じずにできるようになりました。(もっとも、役所での交渉は何語であっても億劫なときはありますが。)英語の本も昔よりも気軽に読めるようになったけれど、でも英語に関しては渡米当初に期待していたほどには上達しませんでした。アメリカに行ってただ漫然と暮らしているだけでは英語は一定水準には達するけれども、それ以上には上達しないのだと思います。本当に英語を使えるようになりたければアメリカの生活の中で日々英語の勉強を絶やさないことが必要だと実感しました。未だにやはり英語の本を読んでいるとわからない単語はそこここにあって、辞書無しでも本のあらすじを追うことにそれほどの困難はないけれど辞書がなければ本を隅から隅まで(少なくとも英語に関しては)読める状態になっていないので、満足ができる英語のレベルには達していません。同じ本の英語原書と日本語訳があったらつい日本語訳に手が伸びそうになって英語原書を結局手にし、そしてよくわからないまま英語原書を読む、というのが現状です。とは言っても、渡米当初よりも格段に上達したのは間違いありません。周りのアメリカ人の友人らの何人かからは、僕の英語は大学院入学当初より格段にうまくなって現在ではほとんど不自由無く流暢に話す、と言われたこともあるのでおそらく客観的に言っても英語の上達は明らかであったのだと思います。(あるいは単に渡米当初いかにひどかったのかということを示しているのかもしれません。)この英語の上達は端的に大学院留学をした大きなメリットだと思います。しかし、結局冠詞の用法は体得できないままでした。特に、いつ"the"をつけるべきでいつつけないべきのかは未だによくわかりません。これからは英文を読むときに意識的に"the"の用法に気をつけながら読んで慣れていかなければいけないと思っています。まあ、とにかく英語の習得はアメリカ留学の一つの目的であり、それは十分に達することはできなかったけれども顕著な結果がでたことは確かなのである程度の意味はあったのだと思います。

そんな6年間でした。次は9月からイタリアで2年間ポスドクをすることになります。機会を見つけて今までとは少し違う研究もしてみたいんだけれど、さてどうなることか。加えて、イタリア語・イタリア文化をどれだけ身につけることができるかが勝負です。
# by t_oz | 2012-07-16 17:35