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皆様、今更ですが、新年あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。

最近はブログの更新が滞りがちになっていました。一つにはTwitterという便利なものを見つけてしまったということもありますが、イタリアに来てからあまり余裕がない日々を過ごしていたということも大きな理由です。この辺りで一つ去年イタリアに渡ってからの総括をしてみようと思います。以前ブログに書いたこととの重複もあるかもしれません。

イタリア、トレント市に渡ったのは去年の8/24でした。暑い夏の日。トレントは2009年のサマー・スクールで3ヶ月ほど来たことがあるので、右も左も分からない、という場所ではありませんでした。トレントのことをよく知らない方々のために少し説明すると、トレント市というのは北イタリアにあるトレンティーノ=アルト・アーディジェ州の州都で、トレント市自体はドイツ語圏ではないのだけれどオーストリアに近く、イタリアの一部となったのも他の大部分のイタリアよりは遅い第一次世界大戦後のことです。ということで少し他のイタリアとは様子が違うようで、トレンティーノ=アルト・アーディジェ州は自治州ともなっているので政治的・経済的に他のイタリアに比べて独自性が強いようです。他のイタリアの都市に住んだことがないので僕自身は比較ができないのだけれど、いろいろ話を聞いているとイタリアの他の部分に比べて行政は手際が良いし、経済も悪くない、郵便も信頼できる、とのことです。歴史的には、ドイツでプロテスタント運動が盛り上がってきたときにカトリックが危機感を抱いて会議をおこなった場所(トリエント公会議)、として知られています。そんなトレントには、トレント大学があります。物理の研究機関はこのトレント大学に加えてECT*(European Centre for Theoretical Studies in Nuclear Physics and Related Areas)という大層な名前の小さな研究所もあります。これら二つの機関は近くにあるのだけれど組織として独立しており、相互の交流もあまり活発ではないようです。もっと相互の交流を深めようという動きは常にあるようですが。イタリアにはおそらくこのようなよく似ているけれど相互に独立した公的機関というのがしばしばあって、縦割り組織の硬直化の弊害を常に感じながら過ごすことができます。ちなみに僕が2009年に参加したサマー・スクールはトレント大学ではなくECT*の方で、今回ポスドクとして来たのはトレント大学の方です。トレント大学というのは知らない人も多いかもしれないけれど、僕の専門分野(Ultracold Gasesと呼ばれる物理の一分野)に関しては、BECセンターという理論的拠点(最近は実験も)があって、ポスドク以上の身分の人だけでも現在16人を抱える活発なグループです。例えばランダウ・リフシッツの理論物理学教程の改訂をリフシッツとともに行ったピタエフスキーが現役の研究者として活躍しています。ちなみに彼は今月80歳の誕生日を迎えました。そんなトレント大学ですが、BECセンターは良いのだけれど、物理学科の他の人たちはほとんど見えてきていません。核物理とか加速器物理とかナノとかいろいろ居るようなのだけれど、BECセンターが充分大きくそして完結してしまっているので他分野との交流が生まれにくいようです。もっと相互の交流を深めようという動きは常にあるようですが。(このフレーズはすぐ上にも書いたような気がします。)

まあ、そんなトレントへ去年やってきました。バスにどうやって乗ればいいのかは分かっていたし、どこにスーパーがあるのかも何となく覚えていました。バスにどうやって乗ればいいのか、というのは単純なようで難しいことです。例えば、日本ではバスを降りるときに料金を払うことがありますが、アメリカではバスに乗るときに定額を支払うことが多いようです。一方、イタリアではバスに乗る前に乗車券を購入しておく必要があるので、乗ってしまったらもう手遅れです。多少勝手が分かっているというのは非常に楽でしたが、とは言っても前回とは違っていることもいろいろあって、例えば特に僕が学生ではなくてポスドクになってしまったということや、夏に結婚したということは大きな違いです。サマー・スクールでは宿舎はあてがわれていたし、言われたことに従っていれば生活に支障はなかったけれど、今回はいろいろ自分で見つけ出して行かなければいけません。トレントに着いてすぐのころは、アメリカに着いてすぐのころもそうだったけれど、まずは事務手続きに専念しました。事務手続きというのは例えば、滞在許可証の取得申請をしたり、イタリアの健康保険制度に組み入れてもらったり、イタリアの年金システムへの登録、大学のアカウントの登録、学校の食堂の利用証の発行などなど。滞在許可証の取得申請と一言で言っても、実際には4ヶ所くらいの場所にそれぞれ数回ずついかなければいけなかったりします。他にも銀行口座の開設や携帯電話の購入など個人的な生活基盤を整える必要もありました。そして、これはこの後の重要なテーマですが、アパート探しが必要です。アパートは、最初の一ヶ月は大学が所有するアパートに住まわせてもらえるんだけれど、その後は別の場所に個人的にアパートを借りなければいけません。最初はアパート探しがこんなに難航するとは思いませんでした。

アパート探しについては後にまとめて書くとして、しばらくトレントでの生活について書いてみようと思います。着いてしばらくは家にインターネットが無かったので、思い返してみると家に居るときは日本からスーツケースに入れて持ってきた本ばかり読んでいた気がします。当時読んだ本を思いつくままいくつか列挙すると、柳田『遠野物語』、島田『ほんとうの親鸞』、橋爪・大澤『ふしぎなキリスト教』、紀田『古本屋探偵登場』、澤地・半藤・戸高『日本海軍はなぜ過ったか』、更科『化石の分子生物学』、米原『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』などなど。一体イタリアに何をしにきているのだろう、という生活でした。しかしそれも最初の一ヶ月くらいで、そのうち読書熱も下がってきました。読書生活は良いとして、その他の生活ですが、まずは朝起きて学校へ行き、夜に帰ってくるというのが基本的なサイクルになります。イタリアに来て驚いたのは、みんな本当に「朝に学校へ来て、夜に帰る」ということです。朝9時〜10時頃に人がおおよそ集まり、夜の8時ころにはほとんど誰もいなくなります。アメリカではリズムがずれている人が相当数大学にいて、何時に学校に来ても誰かがいる、という様子でしたが、イタリアのこの健康な研究スタイルには驚きました。そして、おそらく土日はほとんど誰も学校に来ていません。フランス人と話していたら、彼の居たパリ大学でも生活リズムがずれている人は(特にロシア人!)多かったようで彼自身もかなり夜シフトが生じていたのだけれど、トレントに来たら半強制的にリズムが治ってしまったと言っていました。これがトレントの研究スタイルのようです。イタリアは他にも独特のリズムがあって、例えば多くの商店はお昼休みを3時間くらいとるので例えば午後2時ころに街に出かけても店がほとんど開いていません。日曜にはスーパーを含めほとんど開いている店がなかったり、夜は7時前に買い物を済ませておかないと店が閉まってしまったりと、地域全体が同じリズムで動いているように感じます。慣れるまでは少なからぬ戸惑いもありましたが、慣れてしまえばなんてこともないものです。週末は僕は特に何をするということもなく、強いて言えばのんびり散歩をしたりしながら過ごしています。トレントは盆地に街の中心があって、周囲を丘や山に囲まれています。丘にはぶどうとリンゴの畑が広がっていて、道では犬を連れて歩く人をよく見かけます。こういうところを散歩するのはなんとなく楽しいものです。

年末年始は義両親・義兄がイタリアに遊びにきてくれました。トレントを中心に、ボルツァーノやベローナに観光に行ってきました。イタリアに来てからずっとトレントに引きこもっていたので、旅行に出られたのは久々の気分転換になって非常に楽しかったです。ボルツァーノはトレントよりも北にあるボルツァーノ県の県都で、イタリア語人口よりもドイツ語人口の方が多いというほとんどオーストリアな州です。トレント県と同様にボルツァーノ県は自治県になっているのですが、トレントよりもイタリアへの帰属意識は弱く、独立すべきかどうかなんてことがしばしば話し合われているようです。(トレント県、ボルツァーノ県を合わせたものがトレンティーノ=アルト・アーディジェ州のようです。この辺りの仕組みは僕もまだよく理解していません。)ドイツに行ったことは無いけれど、ボルツァーノの街の雰囲気はなんとなくドイツっぽいなと勝手に感じました。ボルツァーノの最大の見所は通称アイスマンと呼ばれる、5300年前に死んだと思われる氷付けのミイラの展示です。ミイラそのものに加え、ミイラが身につけていた服やその他の持ち物も一緒に展示してあります。想像力をかき立てる面白い展示で、非常に興味深かったです。一方ベローナはトレントよりも南にある都市で、ローマの遺跡の多く残るイタリアっぽい街です。トレントやボルツァーノよりもずっと都会で、ベローナにはアレーナと呼ばれるローマ時代の円形競技場があったり、多くの壮麗な教会があったりと、観光地として賑わっていました。そんな年末年始。しかし、せっかくイタリアに住んでいるんだから、もっといろいろ見て回らないと損だなあ。

イタリアではイタリア語がわからないといろいろ不便なので、イタリア語のクラスにも少し通っていました。トレント市が開いている外国人向けのイタリア語講座というのがあって、半年で25ユーロという破格の値段です。これに参加してみたのですが、2ヶ月ほど通っているうちに完全についていけなくなってもう行かなくなってしまいました。僕はアメリカでも1ヶ月ほど授業を取って、入門者向けの文法書も一通り読んで理解していたつもりだったのだけれど、イタリア語クラスはそんなレベルを軽々と飛び越していました。なかなか面白い強引な授業の進め方で、
先生:「じゃあ、○○さん、この半過去の活用を順に言ってみてください」
クラス一同:「(半過去・・・まだやってないよね!?)」
先生:「うん、まだですね、でも、とにかく活用は?」
みたいな感じでした。これでも約1/3の参加者はついていけていたようです。みんなすごいなあ。さあ、これからはイタリア語はちゃんと自分で勉強しないといけない。

さていよいよアパート探しですが、僕はなんでも良いのでアパートを借りる、というわけには行かない事情がありました。妻同伴でイタリアに来たので、妻の滞在許可証の取得のために一定の条件を満たしたアパートを借りなければいけません。具体的に書くと、内法面積が45平方メートル以上の、ベッドルームを少なくとも一つ備えたアパートが必要でした。最初はこの条件はそんなに大変なものではなかろうと思ってたかをくくっていました。というか、こんな条件がなくても言葉の通じないイタリアでアパートを探すというのは容易ではありませんでした。必然的に英語を使うことになるのだけれど、日本で不動産屋に行って英語でアパート探しをしてみようとするところを想像してみてください。大学の人たちにどうやってアパートを探したら良いのかを聞いてみたところ、大きく分けて4つあるようでした。
1、知り合いのつてをたどる
2、大学の掲示板の広告を探す
3、インターネットの広告を探す
4、街中の不動産屋に行き、尋ねる
これらのうちどの方法を選んだのかというと、結局全部試しました。最初は知り合いのつてをたどり、二軒ほどの物件を当たり、そのうちの一軒に決めました。それは街からは多少離れるのだけれど、まあ広々として綺麗で、良さそうだと思いました。てっきりそこを借りることになるのだと思って悠々と構えていたのですが、その家はまだ中に人が住んでおり、彼らがいつその家を出られることになるのかわからない、ということが2〜3週間ほどして判明しました。どうもいつ出られるかわからないので他の物件を当たった方が良いよ、と言われてしまったので急遽他の物件を探し始めることにしました。とは言っても、最初に大学からあてがわれた場所は一ヶ月しか借りていなかったので、その期限ギリギリに他を探す必要が出てしまったのはどうにも困りました。しかし、大学に問い合わせたところ、大学のアパートに住む期間を2週間ほど伸ばしてもらえることになりました。さあ、時間ができたのでアパート探しです。街の中の不動産屋に行ったり、大学の掲示板の広告を探したり、インターネットの広告に問い合わせてみたりしました。イタリア語ができないので不動産屋に行ったり、大学の掲示板の広告を見て電話したり、というのはなかなかすんなりとはいきません。結局大学の掲示板の広告に出ていたある物件の大家さんが英語ができることがわかり、その物件も大学からの徒歩圏内のなかなか良さそうな場所にあって内装も一新したばかりだったので、そこを借りることにしました。広さも60平方メートルということで、大丈夫そうでした。結局そこに引越したのが10月の第2週くらいでした。引越をしてから、アメリカから日通を使って送っておいた荷物を受け取りました。段ボール30箱の大荷物です。なんでこんな大荷物になったんだろう。まあ、二人分の荷物だから多かったということにします。そして、妻の滞在許可証取得に向けてアパートの広さを証明する書類を取りに行ったら、実はアパートが思ったほど広くはなかったということが判明しました。これにはまいった。60平方メートルと聞いてはいたのだけれど、それは壁とかいろいろ含んだ広さで、壁やなんやかやを取り除いた内法面積は40平方メートル程度しかない、と言われました。そして、これでは許可は出せない、とのこと。大家さんとも移民局の人ともいろいろ相談して、大家さんもいろいろ頑張ってくれてなんとか解決しようと画策したのだけれど、結局広さが足りないということはどうもならず、新しいアパートを探さなければならなくなりました。これが10月の下旬くらい。11月はアパート探しに奔走しました。今度も掲示板を見たり、ネットの広告を探したり、いろいろ問い合わせました。でもそもそも45平方メートルを超える物件というのがあまり無く、あと僕のつたないイタリア語のメールの書き方が悪いのかどうも連絡をしても返事が来るのは半数程度と言ったところ。一番多い返事は、45平方メートルを超える物件はありませんというものでした。どうしてほとんど存在しないアパートを滞在許可取得の条件にするのだろう。要するに増えてきた移民対策ということなんだけれども。。そんななか、街の中の不動産屋に積極的にいろんな物件を紹介してくれるところを見つけてアパート探しはだいぶ楽になりました。そこが紹介してくれるアパートは素敵なものが多いのだけれど、結局大家に(なぜか)ダメと言われたり、値段交渉がうまくいかなかったり、そうすんなりとは見つかりません。中には、45平方メートル以上という条件はクリアするけれど、よく調べてみると大きなワンルームなので「ベッドルームが最低一つあること」という条件がクリアできなかったという物件もありました。(イタリアにはイタリアなりのベッドルームの定義があるそうです。)最終的に、その不動産屋の担当者が住んでいて、1月に出て行くので空く予定のアパート、というのを紹介してもらい、そこに決めました。当初はなるべく早く、できれば12月中に引越を終えたかったのだけれど、こうも見つからないとそんなことは言っていられず、引越は1月にずれ込むことになりました。しかし、その不動産屋の担当者が住んでいるアパートというのがまさに街の中心部で、しかも広々とした素敵なアパートなので、ここまで待った甲斐はあった、と思っています。そして、先日、1月26日、ついに新しいアパートへ引越してきました。段ボール30箱があったので、大学の友人ら(Stefano、Ricardo、Marta、ありがとう!)に車と手を借りました。今週始めには、このアパートが諸条件をクリアするという正式な書類も手に入れ、万事丸く収まりました。と、書いたけれど、実は丸く収まる前にも一つ問題がありました。この新しいアパートを申請に行ったら、最初はまた「狭すぎる」と言われてしまったのです。しかし、その場で役所の人に不動産屋の人と電話で話してもらい、その後数日経ったら役所の人から電話があって、どうやら狭すぎると言ったのは古い情報に基づいていたようで、もう一度調べたら広さはクリアしていると言われました。また狭すぎると言われたときはどうなるかと思ったけれど、よかったよかった。これが僕のイタリア・アパート奔走記です。みなさん、イタリアでアパートを探す際には充分注意してください。。

さあ、そんな感じで今までずっと気の休まらない日々を過ごしてきました。しかし、先週末に引っ越しを終え、新居が諸条件をクリアするという書類も手に入れたので、気持ちもだいぶ楽になりました。ということで、久々にブログを更新してみました。これからは、もうちょっと気持ちの余裕を持ってこまめに更新したいなあと思うけれど、さあ、どうなるでしょうか。
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