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今学期初めての学科のコロキウムがありました。
視覚障害者が科学をするための機器の開発をしている人の話。講演者自身も全盲です。なんだか印象に残ったのはAPSの論文を音声にして読んでくれる機械の実演で、図のキャプションのところに「ml」と書いてあると、ちゃんと「ミリリットル」と読んでくれる。ただし、問題は、その論文では「ml」は「モノレイヤー」の意味だということ。難しいですね。
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みなさん、こんにちは。
特に何事もなく日々すごしています。

大学は今週新学期が始まり、街も活気を取り戻してきました。人がいない街よりも人がいる街の方が僕は好きです。よく行く中華料理屋に行ったら、「久しぶりだね」と言われました。僕は別にシャンペーンをそれほど長く離れていたわけじゃないんだけど、そういえば最近行ってなかったかな。近くのスーパーでは"学生さんお帰りなさい祭り"をやっていて、ただでピザやホットドッグやお酒やなんかを配っていました。なんというか新学期気分のシャンペーンです。シャンペーンを配っていたかどうかは知りません。

イリノイ大の物性理論グループから、ある教授が抜けるという話を聞きました。他の某大学の物理学科長になるんだとか。これはかなり意外で、みんな驚きとともに噂をしています。彼が抜けてしまうと、ここの物性理論はある意味で少し困ることになってしまうような気がする。(なんて奥歯に物が挟まったような言い方になってしまうのは少しわけがあります。)代わりになる人が早く見つかればいいんだけど、なかなか簡単ではなさそうだ。

研究は、僕が今までまともに勉強したことのなかった手法を使う必要が生じ、若干停滞気味。この機会に勉強できてるのは良いことだとは思うけど。

水泳、9ヶ月ぶりに自己記録を更新しました。2kmを32分29秒。いつか30分を切りたい。
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僕は猫アレルギーがあるんですが、先日子猫を飼い始めた友人夫婦の家に呼ばれたので子猫お披露目会に行ってきました。アレルギーが出るまでが勝負だと思っていたら、結局5時間以上居てもアレルギーは出ず。どうやら猫アレルギーがあっても子猫アレルギーはないようです。子猫がその家に来てからまだ1週間だったのがよかったのかな。

彼らの家にはたくさんのボードゲームがあって、行くたびに違うゲームをしているんだけど、今回は「Pandemic」と「Agricola」をしてきました。前者は世界を疫病の流行から救うゲームで、この手のゲームにはめずらしく全員が協調して疫病を止めることを目的としていて、結果は全員勝ちか全員負けのどちらかになります。ちなみに僕らは世界を疫病から救うことに失敗して全員負けになりました。後者のゲームは農場開拓ゲームで、個人プレーです。家や畑や牧場を建てていって、最終的に最もバランスの取れた農場を作ることができた人が勝ちになります。僕の農場はやけにいのししばかり増えてしまって結局最下位でした。
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みなさん、明けましておめでとうございます。2011年もよろしくお願い申し上げます。

今年の年明けはボストンでした。友人の結婚式は2011年1月1日11時11分でした。なぜ1番にこだわるんだ、2番ではだめなのか、という問いに対しては、2番でも良いなら2022年2月2日2時22分になってしまって遅すぎる、という答えがあるようでした。
ついでにボストンをいろいろ観光してきました。5泊6日。アメリカ独立の史跡を歩いて回るフリーダムトレイルを踏破してきたり、天才トム・ショルツを輩出したMITの構内をBostonの"Boston"を聞きながら散策したりしました。あと、美術館・博物館など箱物も5つくらい回ってきました。チャールズ川は岸近くはだいぶ凍っていて、遊歩道も雪に覆われていたからあまり良い感じの景色は見れなかったんだけれど、たぶん春や夏に来ると綺麗なんだろうな。高いビルにも二回登って昼と夜のボストンの街並みを楽しんできました。ボストンは素敵でした。

往復の飛行機の中で橋爪大三郎『はじめての構造主義』を読みました。レヴィ=ストロースの親族組織の研究はまあいいんだけれど、神話研究の方はさっぱりわからず。構造主義と言語学・数学の関係は全くのこじつけであるように感じました。クラインの四元群とカリエラ型の婚姻制度の間に関係があるのはかまわないけれど、それを以って人間社会は以前から無意識に現代数学を用いており、現代数学と言っても別に新しい真理を発見しているわけではないと言うのはいかがなものか。それはひまわりの種の並びを見て、ひまわりが無意識にフィボナッチ数列を用いていると言うのと同じレベルで無意味に思える。こんな哲学を本当に1970年前後の人々はありがたがったのだろうか。神話研究の方はさらによくわからない。神話の集合が置換群になっているのか、神話の集合に作用する何者かが置換群となっているのかが最後まではっきりしなかった。これはたぶんもう少し詳しい本を読んだらはっきりするんだろうけど。構造主義のおおもとの思想である、物事をその構造から見るという考え方は大いに結構なんだけれど、それに言語学や数学をこじつけ的に用いるのが構造主義ってなんだか胡散臭いなあと思わせる本でした。昔々にフーコーの本をゼミで読んだときには別に他の学問をこじつけ的には使わずに構造を議論していたから特に違和感もなく読めたけれど、今思えばフーコーという人は周りに流されずに自分の学問を追及した偉い人だったんだなあと感じます。
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