本帰国

卒業に伴い、約6年間住んだUrbana-Champaignを先週末離れることになりました。

思えばいろいろありました。22のときに来て今は28になっているので、結局20代の大部分をUrbana-Champaignで過ごしていたような気がしています。

結局卒業には1年余分に計6年かかってしまったわけですが、最後の1年はいろいろ成果がでたので結果的には多めに在籍して良かったと思っています。そもそもUltracold Gasに興味があって大学院に出願することになり、結果的にUltracold Gasの研究で博士号を取得できたのはなんと言うか予想外に計画通りです。

同じような質の研究を(もちろんテーマは違っても)日本でできたかと言えば、それはできたと思うけれど、僕にとってアメリカで大学院生活を過ごしたのはもっと文化的・精神的な意味で得難い経験になったと思います。何と言っても海外生活は楽しい。日本の人たちとは全然違う考え方を持つ人たちと日々触れ合うことができるというのが僕の考える留学のもっとも大きなメリットです。世界には日本人以外の人たちがいる、というのは日本でも日々ニュースを見ていればわかることだけれど、そういう人たちを実感として知るのはやはり実際にそういう人たちと会って暮らしの一部を共有して行かなければわからないことが多いと思う。もう一度学部の頃に戻って大学院に出願することになったら間違いなく外国の大学院に出願すると思う。イリノイの大学院で良い指導教官に会えたのは非常に幸運だったけれど、それは日本かアメリカかあるいは他のどこかというのとはおそらく別の問題でしょう。

そんなこと書いてみたけれど、でも、イリノイに来てから物性物理に対する見方がだいぶ変わったのも事実です。これはアメリカだからということよりもむしろ学部から大学院で違う場所に移ったからだと思う。(あるいは、もしかしたら単に学部から大学院に上がったからだけなのかもしれない。)どう変わったのかというと、なんだか学部のときには物性物理は最先端ではコンピュータによる数値計算(もしくは対極として特殊な模型による厳密解の研究)が必須になっているという勝手なイメージを持っていたけれど、イリノイで物性理論をやっている人たちで(量子Monte Carloや、あるいはFortranやCなどを使った何らかの)数値計算を日常的に使っているのはせいぜい2つか3つのグループで、他の大部分のグループは別に数値計算をせずに結果を出しているように感じています。(僕がいま数値計算を日常的に使っているグループとして頭に浮かべているのはCeperleyのグループとDahmenのグループ、あとおそらくGoldenfeldのグループです。)Green関数法すらあまり人気がないというのにも驚きました。(以前も書いたけれど、僕がFetter&Waleckaを読んでいたら、「そんなGreen関数法みたいな前時代的なものを学んでどうするの?いまどき誰も使ってないでしょ。」と本気で言われたことがあります。Leggettは「Green関数法が本質的な物理の理解に寄与したことはない」と言ってGreen関数法が嫌いだと聞きました。)違う場所では違う物理の雰囲気があるようです。ということで、いろいろな物理を知るためにも学部から大学院で違う場所に行くことはお勧めです。

でもイリノイでの大学院生活に不満があったのも事実です。一番大きな問題は、研究を議論できる相手がボス以外にどうも見つからなかったということでした。気軽に日常的に研究の話あるいは物理の話をできる人がいなかったため、研究生活はなかなか孤独でした。(どういうわけか同じグループの中にも研究についての話ができる人はいませんでした。)ボスも丁寧に学生を指導するタイプというよりもどちらかというと放置で、具体的な研究テーマを与えるということもしない人だったこともあってか、研究を始めた当初はなかなか進みませんでした。まあ、今になって考えてみると地力というか一人で研究する力は養われたと思うし、そんなにネガティブな側面ばかりではなかったのかもしれません。しかし、たまにサマースクールに行ったり日本に帰って本郷にお邪魔していたりするときはいろんな人と物理の議論ができることが実に楽しかったので、やはり議論できる相手がいるにこしたことはないでしょう。結局Urbana-Champaignにいる間に論文を6本書いたけれど、どれもボスとの二人での共著でした。他の誰とも論文を書いたことが無いというのは、ちょっと不自然かなあとも思います。次に行く場所では是非いろんな人と研究について話ができたら良いなと思っています。(おそらく、次に行く場所では、それが可能だと思う。)

物理の話はこれくらいにしておきましょう。最初にも書いたけれど、Urbana-Champaignに来て一番良かったとのはいろんな人たちと出会えたことだと思っています。特に、アメリカに来て最初の2〜3年はほとんど日本人との交流が無く、日本語の本は読んでいたけれども日本語を発声するのは実家との電話あるいは一時帰国中のみという状況が続いていました。(当初は一時帰国した時に、周りの人が日本語を話して自分も日本語を話すのが実に奇妙に感じられていました。)そういう新しい環境に身を置き、いろいろな価値観に触れることは非常に大きな刺激になりました。アメリカに来て初めて神様を信じている人やベジタリアンや同性愛者や進化論を信じていない人に会いました。アメリカに来るまでユダヤ人とイタリア人とスウェーデン人の外見上の違いなんて全くわからなかったけれど、今ではだいぶわかるようになってきました。(それよりもあるタイプの中国・韓国人と日本人を見分ける方が難しいかもしれない。)ただ、黒人の知り合いはできませんでした。なぜだろう。物理学科同期45人中黒人は1人だけで、人種のサラダボウルのアメリカと言えども物理で黒人はまだまだ少数派のようです。ともかくも、僕の(まだ終わっていないけれど)20代における価値観の変化・形成は多様な考え方の存在に実感として気づくということがメインテーマだったように感じています。一番身近に影響を受けたのはもちろんアメリカ的価値観だと思いますが、しかし、イリノイ大学の雰囲気がアメリカ的価値観を代表するような場所なのかというとそれも違うのかもしれません。そもそも代表的アメリカ的価値観なんてないのかもしれない。様々な価値観が混ざり合うこともせず反発することもせずにただそこにある、という状況を僕はアメリカで見てきました。僕がアメリカに来て初めて神様を信じている人に出会ったように、逆にイリノイで会ったアメリカ人やメキシコ人の中には僕と会って初めて『神様はいるのだろうか』という問いを発することすらせずに神の不存在を当然のこととみなしている人間と会ったというようなことを言っている人もいました。世界は多様であるからこそ面白い。僕は世界中の人は決して分かり合えないし、世界から宗教上のあるいは思想上の紛争がなくなることはあり得ないと思っているけれど、その考え方はアメリカに来てから徐々に形成されていったような気がします。(もちろん紛争が無くなればそれに越したことはないんだけれど。)イスラム教徒の友人は進化論者は頭のおかしい人たちだと言い、無心論者の友人は進化に神が介入しているなんて考える人は頭がおかしい人たちだと言うけれど、その両方とそれぞれ話しているとそれぞれ非常に聡明な人たちでどちらも頭がおかしいはずはなく、単に考え方に譲歩できないほどの違いがあるというだけでした。あるいは、共産主義者の友人は市場の自由競争をサポートする人たちは気が狂っていると言い、保守的な資本主義者の友人は共産主義なんて歴史が否定した制度を未だに擁護する人たちは悪魔に取り付かれているに違いないと言うけれども、どちらもそれぞれ聡明な人たちでした。要するに人間は自分の通過してきた環境や育んできた考え方によっていかに世界の見方が規定されてしまうのかということを強く感じた6年間でした。もちろん環境によって見方が大きく制限されてしまうのは僕自身も例外ではないけれど、自分の考え方がどういう制限を持っているのかはどうも自分ではわかりにくいので、いつも他人の指摘で気づかされています。なんだか、ありきたりなことを長々と書いてしまったような気がします。段落を変えて、英語についてです。

一般的に言って、アメリカ留学の最も直接でわかりやすいメリットは英語の上達かもしれません。僕の英語は確かに上達したと思います。最初は近くの店で水を1本買うのも冒険だったけれど、今では役所に行って多少面倒な交渉も別段億劫に感じずにできるようになりました。(もっとも、役所での交渉は何語であっても億劫なときはありますが。)英語の本も昔よりも気軽に読めるようになったけれど、でも英語に関しては渡米当初に期待していたほどには上達しませんでした。アメリカに行ってただ漫然と暮らしているだけでは英語は一定水準には達するけれども、それ以上には上達しないのだと思います。本当に英語を使えるようになりたければアメリカの生活の中で日々英語の勉強を絶やさないことが必要だと実感しました。未だにやはり英語の本を読んでいるとわからない単語はそこここにあって、辞書無しでも本のあらすじを追うことにそれほどの困難はないけれど辞書がなければ本を隅から隅まで(少なくとも英語に関しては)読める状態になっていないので、満足ができる英語のレベルには達していません。同じ本の英語原書と日本語訳があったらつい日本語訳に手が伸びそうになって英語原書を結局手にし、そしてよくわからないまま英語原書を読む、というのが現状です。とは言っても、渡米当初よりも格段に上達したのは間違いありません。周りのアメリカ人の友人らの何人かからは、僕の英語は大学院入学当初より格段にうまくなって現在ではほとんど不自由無く流暢に話す、と言われたこともあるのでおそらく客観的に言っても英語の上達は明らかであったのだと思います。(あるいは単に渡米当初いかにひどかったのかということを示しているのかもしれません。)この英語の上達は端的に大学院留学をした大きなメリットだと思います。しかし、結局冠詞の用法は体得できないままでした。特に、いつ"the"をつけるべきでいつつけないべきのかは未だによくわかりません。これからは英文を読むときに意識的に"the"の用法に気をつけながら読んで慣れていかなければいけないと思っています。まあ、とにかく英語の習得はアメリカ留学の一つの目的であり、それは十分に達することはできなかったけれども顕著な結果がでたことは確かなのである程度の意味はあったのだと思います。

そんな6年間でした。次は9月からイタリアで2年間ポスドクをすることになります。機会を見つけて今までとは少し違う研究もしてみたいんだけれど、さてどうなることか。加えて、イタリア語・イタリア文化をどれだけ身につけることができるかが勝負です。
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by t_oz | 2012-07-16 17:35 | Comments(2)
Commented by beni at 2012-07-17 11:45 x
6年前からこのブログを読んでいるのだと思うと、なんだか不思議な感じがします。このブログとても好きなので、続けてくださいね!
Commented by t_oz at 2012-07-18 01:12
ありがとう!これからも今までと同じように細々と続けていきたいと思うのでよろしくお願いします。